自己紹介/私のこれまでの歩み

瑞雲庵(ずいうんあん)の森です。

私は、小学生の頃から親との関係も難しく、人との関わりがうまくできず、緊張するとすぐお腹の具合が悪くなる過敏性腸症候群で、高校生の時はパニック障害になりました。

社会人になっても、表面は明るく、いわゆる「できる人」を演じていましたが、自分への不安をずっと抱えていて、毎日を辛く生きていました。

頑張って事業を始めました。でも、結婚生活が上手くいかず、事業も傾いてきて、離婚をして、当時3歳だった娘と二人きりの暮らしになりました。そして、鬱病になって事業も続けられなくなって破産しました。

幼い娘と二人、毎日の食べるものにも困るどん底の暮らしになりました。

新井薬師

強い自己嫌悪・自己不信と、先の見えない不安・恐さに押しつぶされそうになるたびに、毎日幾度も、近所のお寺に行って祈り、境内のベンチにうつむいて座りこんでいました。

そんな私のそばで、いつも一人で遊んでいた娘が、ある日、「パパ、あそぼ、あそぼ」と言いながら、またベンチに座り込んでいた私の腕を何度も引っ張りました。

頭を上げると、そこには幼い娘の真剣な顔がありました。私は申し訳ない気持ちて胸がいっぱいになり、大粒の涙が目からあふれ出しました。

私は、「よーし」と勢いをつけて立ち上がりました。そして、娘を肩車して、「わっしょい、わしょい」と境内を飛び跳ねるように歩き回りました。

頭の上から、娘の嬉しそうな声、笑い声が聞こえてきました。娘の私にしがみつく手を感じました。私は大泣きしながら「わっしょい、わっしょい」と歩き回りました。

疲れて立ち止まり見ると、桜がつぼみをつけていました。

「ともか、ほら、お花が咲くよ」
「おはな?」
「うん、桜のお花」
「さくらのおはな?」
「うん、ともか、お花が咲くの、パパと毎日見ようか」
「うん! ともかみる、パパとみる!」

ほんの小さな小さなことでしたが、私に明日もすることができました。

そして思いました。「変わりたい、絶対に変わる、変わらないとだめだ」と。

その日から毎日、娘と咲いている桜のつぼみを発見しては、一緒に子どもようになってはしゃいだり、その他でも私は意識的に何も考えずに無邪気にすごすようにしました。

以前にできるようになっていたレイキというヒーリングも、毎日何度も自分にするようになり、自分をほめることや良かった探しなどを独り言のように言うようになどなりました。

私はしだいに自分の心のエネルギーが陰から陽に、明るくなってきているように感じていました。そして、桜の花がだいぶ花開いたころ、一本の電話がかかってきました。1年近く前にお会いした人からでした。

「森さん、来週の金曜日、研修の講師をしてくれませんか」。私は一瞬、何を言われたのかわかりませんでした。そして意味がわかって「したことがないですから」と答えました。でもその人は「とにかく来週の月曜日に事務所に来てほしい」と言いました。

一週間後の金曜日、私はビジネス研修の講師として、大手企業の受講者に1日研修をしました。それから研修の講師として、娘とふたり生活ができるようになりました。

研修の仕事の収入で、カウンセリングを学び始めました。

「二度とまた苦しい毎日にはなりたくない」
「もっと良くなりたい」
「辛い毎日、鬱病にもなった原因はなにか」
「心のことを知りたい」
そんなふうに思って習い始めました。

すると、自分が桜の花が咲くのを見はじめた頃から始めた数々のことは、カウンセリングの理論にぴったりと合っているものだったとわかって驚きました。知らずに私はセルフカウンセリングを毎日していたんです。

その頃、鬱も消えていました。私は、カウンセラーになって、セルフカウンセリングの方法をもっと究めて、多くの人に知らせたいと思うようになり、カウンセラーになりました。

そして、セルフカウンセリングのマニュアルを作って相談者さんにお渡しするようにしたところ、とっても役立つ、助かるとたくさんの人が喜んでくれるようになりました。

もっと役立ちたい、自分自身ももっと良くなりたいと、それから私の良くなれる方法の探究がはじまりました。まずコーチングを学びコーチになりました。

カウンセリングか過去から今までのことによる心のことで、コーチングは今と今から未来のことで、両方で、過去から未来までのお役に立てると思いました。

そして、脳科学や量子物理学、引き寄せの法則なども学ぶようになりました。

トランスパーソナル心理学のセミナーで「マインドフルネス瞑想」を知りました。高校生の頃から自分流で時々坐禅をしていた私は興味を持ち、取組むようになりました。

カウンセリングやコーチングの相談者さんにも時々教えるようになりました。でも、10年ほどしていて、それなりの効果はありましたが、自分自身としても相談者さんの悩みの解決にも足りないと感じていました。

していたマインドフルネス瞑想は、アメリカでストレスの低減や痛みの緩和を目的につくられたものでしたが、それは仏教の瞑想を加工したものでした。

ある日、通りかかったお寺でちょうど法話をしていて、聴くことにしました。

金沢市 宝円寺

観音さま、観音菩薩の前世のお話で、私は心を強く動かされました。観音さまは、弟がい裕福な家の子どもでしたが、お父さんが再婚した後妻が、お父さんが留守の間に、観音さまと弟をだまして無人島に連れて行って置き去りにしました。

食べる物がなく息絶えていく時、弟は「どうしてこんな目に合わないといけないんだ」と怨む言葉を口にしました。兄は「こういう体験をしたからこそ、生れ変わったら、苦しんでいる人の助けにきっとなれる」と言いました。弟もその言葉を聞いて、そうだと思いました。

二人は亡くなりました。兄は観音菩薩に、弟は勢至菩薩となりました。というお話でした。

観音菩薩像

私は、鬱病、破産、幼い娘と二人、食べるものにも困ったどん底を経験して、そこからカウンセラーやコーチングのコーチになって、いくらかでも人のお役に立ててきていました。そのことが観音様が亡くなったときの言葉を聞いて思われて、胸が熱くなりました。

あの経験をして良かったと思いました。そうでなかったら、今の自分はいないと思いました。そして、もっともっと、人が良くなれる方法を知りたいと思いました。

仏教とは『抜苦与楽(ばっくよらく)』、人が苦しむことから解放されて、安心・幸福に生きられるようにななるための教えや方法だとも、その時に知りました。

ばっくよらく

そういう仏教に強く惹かれました。学びたいと思いました。その夜、私は、仏教の禅僧になって修行することを決心しました。マインドフルネス瞑想の元が仏教の瞑想だということも動機のひとつでした。

もも

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