500円講座より

マインドフルネス瞑想と坐禅は違うものであることに注意を

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日本ではしだいに、マインドフルネス瞑想が禅の坐禅、マインドフルネスが禅のように説明され教えられるようになってきている傾向があります。禅はもちろん素晴らしいものですがマインドフルネスとしてはこれは要注意です。

マインドフルネス瞑想を禅の坐禅のようなものと思っていたり、禅の坐禅のようにしていると、マインドフルネス瞑想としての効果は得られません。

それはなぜか?

集中の瞑想のサマタ瞑想的な禅の坐禅

禅の坐禅は、サマタ瞑想、ヴィバッサナー瞑想という分け方にはあてはまらないものと言われますが、現在の禅の坐禅はほぼサマタ瞑想的なやり方です。

坐禅をしていて思考や記憶や感情、感覚が現れてきても、とりあうことなく、かかわることなく、放っておく、坐禅していることに集中し続けます。

前のページでも紹介した『天台小止観(てんだいしょうしかん)』にサマタ瞑想について次のように書かれています。

縁を何ものかにつないでそれを守ることによって心を散らさないようにすることである。心がうごいてきたら、それをおさえて駆けださないよう散らないようにすることである。

坐禅のやり方で心を散らさないようにと数息観(すそくかん)という数を数えながらする方法も当然のように教えられています。数息観はサマタ瞑想のものです。

サマタ瞑想的な禅の坐禅では足りない

本来のマインドフルネス瞑想は気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想です。それに集中の瞑想・サマタ瞑想が鳥の両翼としてセットになります。

禅の坐禅は素晴らしいですが、サマタ瞑想的な禅の坐禅をしているだけではマインドフルネス瞑想をしていることにはならないのです。

マインドフルネス瞑想と禅の坐禅は効果が違うもの

「マインドフルネス瞑想の効果」のページで述べましたが、マインドフルネス瞑想は禅の坐禅では得られない効果が得られます。

近年において、アメリカでマインドフルネス瞑想が効果があると広まる前、禅の坐禅はすでに知られるようになって取組んでいる人がたくさんいました。

その状況の中でマインドフルネス瞑想は広まるようになりました。マインドフルネス瞑想は、禅の坐禅では実現しない効果が実現されるから認められ普及するようになりました。

マインドフルネス瞑想と禅の坐禅のやり方の違い

本来のマインドフルネス瞑想、マインドフルネス瞑想の本質はヴィパッサナー瞑想ですから、サマタ瞑想的な禅の坐禅とはやり方が異なります。

たとえば意外と思われるような次の違いがあります。

集中をできないときがあってもいい

禅の坐禅やサマタ瞑想をしているとき、思考や感情が現れたら、それに関わらず、集中をしている対象やことに集中していくようにします。

いっぽう、本来のマインドフルネス瞑想の気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想は、思考や感情が現れたら、それが現れたことにありのままあるがまま気づく取組みです。

瞑想は集中すべきものと思う人が多いですが、集中できないときは集中できないと、ありのままあるがまま気づくようにするのがマインドフルネス瞑想の気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想です。

調身、調息、調心がくずれてもいい

禅の坐禅は「調身、調息、調心」と言います。正身端座(しょうしんたんざ)と言って姿勢をとても重視します。息も調えるようにします。そうして心が調うようになります。

禅の坐禅は瞑想中、調身の状態をキープするようにします。

マインドフルネス瞑想・気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想は坐りはじめは姿勢を良くして坐りますが、瞑想中は姿勢にこだわりません。姿勢がくずれてきたなら、くずれてきたとそのまま気づくようにします。

息も同じです。心についても同じです。乱れてきたら乱れているとありのまま・あるがまま気づくようにします。

そうして、心身の現象にそのままに気づくことを繰り返し繰り返ししていくことで、今この瞬間・この瞬間のありのまま・あるがままの気づきの習性や力ついて、マインドフルネスな人になっていきます。

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瑞雲庵